覚悟のつくり方
今回は覚悟について考えてみたい。
この人と決めて結婚しようとするとき、会社を辞めて起業しようとするとき、そのほかにも人生の転換点になるような何か大きな事柄を決断しようとするとき、人は覚悟を決める必要に迫られる。また、覚悟なく重大な事柄を決めたりすると、後で悔いることになることもある。
となると覚悟とは、己を言い聞かせるためのツール、将来後悔しないための予防線、あるいは心の準備とでもいえるだろうか。
では、覚悟を決めるときに、人はいったい何をするのだろうか。すなわち、己を言い聞かせられて、予防線を張れて、心の準備を整えるのには、どういうことをすれば有効だろうか。
また、覚悟が試されるときというのは、想定外の出来事に出会ったときだろう。となれば、覚悟を決めようとするとき、まず最初にすることといえば、想像力を駆使してあらゆることを想定しようとする。要するに、想定外な要素を根絶やしにしようとする。それができれば、そこから先どんな場面になってもあわてることなく、決心した通りわが道を行くことができるというわけだ。
だがご存知のとおり、世間はそれほど甘くない。いろいろ起こるであろうことを思い起こし、こうなったときはああして、あんなことが起こったらこう対処してと、よし、これで万全と覚悟を決めて事に及んでも、こんなはずではなかったと、やっぱり考えていなかったことが起こる。映画の中のアクションヒーローにはなれないのだ。
では、覚悟を決めても無駄なのか。いや、覚悟するということに意味がないのではなく、覚悟のしかたに間違いや、不足があるということだ。ロールプレイングゲームのように、すべての展開を想定しようというアプローチは、やはり現実的ではない。世の中何が起こるかわからない。その中で後悔したりあわてたりしないようにするには、いったい何を用意すればいいというのだろう。
往々にしてあわてたときというのは、現状の把握もできていないものだ。これは、思考が停止してしまっているということ。人間どんなときもあわてて徳はないとは分かっているはずだが、そんないつもかも冷静でいられるわけでない。頭の中が真っ白になることが不可避なこともある。しかしこうもいうことができる。そんなあわてた状態というのは、そうそういつまでも長続きするものでもない。要は、この真っ白期間をどれだけ短くできるかだ。このことを知っておくだけで、ずいぶんと違ってくるのではないだろうか。自分があわてたことをいち早く自覚することが、何よりも先ず重要で、自覚できたときには、先ずちょっとおいてみる。思考の再起動だ。その後は、目的の確認と現状の把握から取り掛かるべしである。地震が起こったときに、先ず最初にどういう声をかけるのが有効か。「落ち着け!」だそうだ。
文章で書いてしまえば、こんな感じになってしまうが、そもそもこれは人にとって永遠のテーマのひとつなので、この通りにできなくても、あわてることもあるまい。落ち着け、落ち着け。


Comments
覚悟? 悟りを覚える(自覚する)こと。
悟る、とは?
自分が限界のある生き物だと認めること。
その限界を許容すること。
限界とは?
弱さ、ずるさ、醜さ・・・・など
およそネガティブと称せられるものは
みんな持っている私、という自己認識
かなあ・・・
って柄もなく、
Smiffムードに引きずられて
高踏的(?)なこと書いてしまった
・・・・この、誘惑に弱い
のも私の現実。
そう、振り返ってみても
Smiff論文の冒頭に例として挙げられているような覚悟なんて、したことない
って気がします。
人生、そんなに不真面目ではないつもりだけど。
Posted by: ババーテレサ | April 21, 2008 at 20:35
「覚悟」と来たか。
読む方も覚悟しなくっちゃー
「覚悟」とは、何かに備える事ではなく予期せぬ出来事あるいは、あーあやっぱりねなど、浅いものから深いものまで全てを肯定す心の準備の事では無いだろうか、いかなる事が起ころうとも全肯定する、それが覚悟する事でそうなれば頭が真っ白に成る事も、慌てふためく事も、落ち着く必要も無い訳だ。目の前の現実を受け入れる事が出来ないと言う事が、パニックを引き起こしたりするのではないのだろうか。人間には思考停止も再起動も無いように思う思考停止は死を意味するだろうし、仮に物理的な死を意味しないにしても、思考停止は何らかの死を意味するのではないだろうか、物理的な死であればもちろん再起動も無い、つまり深い覚悟とは、死そのものであるように思うのだが、もちろん凡人の覚悟には深いものから浅いもの、一部留保までいろいろありそうだが、僕はどのレベルの覚悟で生きているのかな?
Posted by: しんちゃん | April 21, 2008 at 17:22