何を値踏みしているのか
実は、ピアノを買うことにした。電子ピアノ。
うちの奥さんが、ちょっと前からピアノを弾けるようになりたいと言い出して、周りにいる弾ける人に教えてもらったり、ピアノがおいてあるところにもぐりこんでは、ぽつぽつ練習したりしていたのだが、なかなか思うようにいかないらしい。いわゆる、50の手習い。で、ついに「部屋に電子ピアノほしいなぁ」などと独り言をいうようになりだした。そんな具合なので、おそらくはというべきか、もちろんというべきか、それほど弾けるようになっているとは一向思われない。
ここでいつか、僕の芸術の芽は学校教育によって摘み取られたというようなことを書いたくらいだから、僕自身の弾けない度は、彼女より当然のことながら高い。しかし、何か一つでも楽器が使えたらとは、ずっと前から思っていたところへ、今回の独り言。そんなところも影響したかして、「んじゃ、買うか!」と一念発起。
その周りにいる数名に、「どんなんがええやろ」と聞いてみたり、楽器屋さんにしょんべんかけにいったりして、あたりはつけてみた。アコースティックなのは、どのファクタからも選択肢には入らず、当然のように電子ピアノ。調律はいらないし、周囲に悟られず練習することも可。価格・・・これはもうピンキリ状態。
まだろくに弾けないのだから、物の良し悪しについての鑑定眼も、全く論の外といっていい。つまり、メーカーイメージとか色や形などはいうにおよばず、機能面も「よう分からん」状態であるため、二次的な要素にしかなりえず、選ぶ尺度としては、価格で選ぶということにしかならない。
ここから、今日の本題に入るのだ。こういうとき、どう判断するか。ピアノに限らず、これから自分が未知の分野に飛び込もうとするときの、初期投資への判断である。方法論的には、とにかく信用できそうな人に任せてしまうという手。また、どう展開するか分からないのだから、ものにならなかったときのリスクを考慮して、一番安価なモデルを選ぶとか。逆に、予算枠目一杯のを張り込んで、己にプレッシャーをかけるという戦略が、お好きな向きも世の中には居られる。
人に任せっきりにするのは、僕個人の性分としては合わないし、かなりの貧乏性を自認だったりするので、先ほどの方法論としては2番目を採用することがこれまでは多かった。だが、今回のことで「ちょっと待てよ」と思うところがあったのだ。これまでこれで生きてきて、小粒にとどまってしまっているのではないのかと。いや、いまさら大粒になりたいわけでもない。が、可能性を自ら摘み取るようなことをしているとしたら、それは不本意というものである。
そんなことを、今回は具体的にピアノをイメージしながらうつらうつらと夢想していて、気のついたことがある。このときまで、どの価格のピアノを買うのかを思案していたと思っていたのだが、実は違うのだ。ものになるかどうか、まだ分からないわたしの可能性に、いくら投資するのかという博打なのだ。つまり、値踏みしているのはピアノなのではなく、わたしの可能性であり、おかぁちゃんの可能性であったということ。先ほどの2番目の方法論「どう展開するか分からないのだから、ものにならなかったときのリスクを考慮して、一番安価なモデルを選ぶ」というのは、その可能性を過小評価しているといえないだろうか。現段階では、過小であるといえず適正である可能性も排除できないのだが。
だがしかし、だ。いいではないか、ものにならなかったとしても。そうであるなら、自分が楽器を奏でるということが、やろうとしても出来ないことだったのだということが分かるということなのだから。
貧乏性な選択をすると、できなかったことを他のせいにしてしまいやすい。これは、苦しい思いをせずにすむが、それと引き換えに学習放棄をも意味する。そんな下地からは、どんな可能性も芽吹くことはないだろう。
さてさて、本当にものになりますか、どうですか。笑いものになる覚悟は決まりました。


Comments
奥さんがピアノを習っておられるなんて偉いですね。練習するには やはり電子ピアノがあったほうがいいです。選び方は わかりません。むずかしいですね。
隣のおくさんは 始めは本当に初心者でしたが 大学の保育科に入学しなおして 毎日電子ピアノで練習していて 卒業されるころは とても上手になられました。目的がはっきりしている練習だったとは思いますが 好きで弾けるようになりたい 電子ピアノを買ってしまった となったら きっと上達されるでしょうね。楽しみですね。思いついたときにやるのがいいのだと思います。
3日坊主のわたしには 言う資格がないのです。習い物が続きませんでした。買ったものがだいぶ無駄になりました。全然思考の浅い感想ですみません。
Posted by: 非戦 | May 09, 2008 at 00:39