学校で学ぶもの
学校では、何を学ぶのか。
学校で教えられることは、学校を出てからの役には立たない。
本当だろうか。
何を学ぶところかなのか、そこの理解を間違っていると、そんな風にしか思えないのかもしれない。
数学から、何を学ぶのか。
計算の練習をたくさんする。いろいろな公式を覚える。統計や確率のことを覚える。
それらのこと自体について、特により高学年でのそれについて、社会に出てから役に立つ場面はそれほどあるのか。
そうじゃない。
数学の授業から学ぶべきものは、数という無感情のものに対する扱い方であり、捉え方。
大小の感覚。
つまり、順序立ててものごとを解きほぐしていくこと。
国語から、何を学ぶのか。
漢字。名作文学。
そうじゃない。
語感を磨くということ。
深く思索するとき、頭の中で言語を使って考える。このときに役に立つ言語力を養う。すなわち、母語。
社会から、何を学ぶのか。
各国の人口や、総生産。各地の名産に地場産業。
そうじゃない。
夫々に、得手不得手があるということ、それ自体の存在を知る。
自分が全てしなくても、くらしが成り立っているということの理を知る。
つまり、他者の存在を知る。
理科から、何を学ぶのか。
植物の観察。動物の体の仕組み。
そうじゃない。
ものには、成り立ちがあるということ。
人間が、何を利用して、何に助けられて、生きながらえているのか。
身の回りの豊かさを知る。
つまり、人間は、地球の居候であることを知る。
人間の知能が、現実を包含することはないということを知る。
英語から、何を学ぶのか。
英単語。文法。
そうじゃない。
そもそも、英語をはじめとする外国語を学校で取り上げることについて、それらを「学問」であると、勘違いしてはいないか?
外国語は、学問ではない。
未知の文化があることを知る。未知のものに出会った時の、処し方を身につける。
恥をかく練習。
学校で、何を学ぶのか。
人とかかわり合うこと。助けられること。助けること。
思い通りにならないことを受け入れる練習。理不尽への訓練。
叱られる練習。失敗をするところ。
人生の、練習の場。
だから、文学者にも数学や理科は必要だし、科学者にも国語や社会が必要なのだ。
それらを学ぶために、様々な切り口が用意されるのであって、その過程で用意される材料は、あなたが卒業したときには、古くなって役には立たないかもしれない。そんなものを、後生大事に覚えておくことには、意味はないのだ。


Recent Comments