« July 2008 | Main | December 2008 »

October 19, 2008

学校で学ぶもの

学校では、何を学ぶのか。
学校で教えられることは、学校を出てからの役には立たない。
本当だろうか。
何を学ぶところかなのか、そこの理解を間違っていると、そんな風にしか思えないのかもしれない。

数学から、何を学ぶのか。
計算の練習をたくさんする。いろいろな公式を覚える。統計や確率のことを覚える。
それらのこと自体について、特により高学年でのそれについて、社会に出てから役に立つ場面はそれほどあるのか。
そうじゃない。
数学の授業から学ぶべきものは、数という無感情のものに対する扱い方であり、捉え方。
大小の感覚。
つまり、順序立ててものごとを解きほぐしていくこと。

国語から、何を学ぶのか。
漢字。名作文学。
そうじゃない。
語感を磨くということ。
深く思索するとき、頭の中で言語を使って考える。このときに役に立つ言語力を養う。すなわち、母語。

社会から、何を学ぶのか。
各国の人口や、総生産。各地の名産に地場産業。
そうじゃない。
夫々に、得手不得手があるということ、それ自体の存在を知る。
自分が全てしなくても、くらしが成り立っているということの理を知る。
つまり、他者の存在を知る。

理科から、何を学ぶのか。
植物の観察。動物の体の仕組み。
そうじゃない。
ものには、成り立ちがあるということ。
人間が、何を利用して、何に助けられて、生きながらえているのか。
身の回りの豊かさを知る。
つまり、人間は、地球の居候であることを知る。
人間の知能が、現実を包含することはないということを知る。

英語から、何を学ぶのか。
英単語。文法。
そうじゃない。
そもそも、英語をはじめとする外国語を学校で取り上げることについて、それらを「学問」であると、勘違いしてはいないか?
外国語は、学問ではない。
未知の文化があることを知る。未知のものに出会った時の、処し方を身につける。
恥をかく練習。

学校で、何を学ぶのか。
人とかかわり合うこと。助けられること。助けること。
思い通りにならないことを受け入れる練習。理不尽への訓練。
叱られる練習。失敗をするところ。
人生の、練習の場。

だから、文学者にも数学や理科は必要だし、科学者にも国語や社会が必要なのだ。

それらを学ぶために、様々な切り口が用意されるのであって、その過程で用意される材料は、あなたが卒業したときには、古くなって役には立たないかもしれない。そんなものを、後生大事に覚えておくことには、意味はないのだ。

| | Comments (0)

October 04, 2008

言葉の上に乗せられているもの

その人が口にした言葉を聞く。聞き手は、そのたった今投げられた言葉をたぐって、自分の中の世界を膨らませていく。あくまでも、自分の世界での展開。

話し手が言葉に乗せた意味や気持ちと、聞き手が聞いた言葉を通して受けた印象、そこから解釈した意味との間に、どれほどの距離があるのだろうか。それは、遠近などではなく、つながっていない異世界。

人が話すときに、どういう言葉を選ぶのかは、その人がそれまでに経てきた人生によって、決められるのだろう。そしてまた、聞き手のほうも、自身が経てきた人生によって培った語感で受け取る。

であるならば、話し手は聞き手の人生を知った上で語っているのか、聞き手は話し手の人生をなぞって聞き取ろうとしているのか。その夫々の人生をお互いが共有できるわけもなく、そういった者同士の間で交わす言葉というものによって、意図が伝えられるなどとどうして思えるのだろう。

話し手の世界をうかがうということ。言葉を受け取るのではなく、言葉という盆の上をのぞく。その人を自分に取り込むのではなくて、自分がその人に入り込んでいく。お互いの想像力の限界線が、そこに現れる。

できるかできないかでなく、やろうとするかしないか。

いや、いいたいことはそんなことではないんだけど。

| | Comments (0)

« July 2008 | Main | December 2008 »