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December 13, 2008

仕事の目的再考

近頃、一気に不景気風が吹き荒れだした感がある。大企業が破綻したり、業績悪化を理由に工場の閉鎖や大量解雇が、ニュースネタになる。

会社の業績見通しが悪くなって、設備投資がひかえられるのは理解できるのだが、人員の削減が不景気対策の手法として使われることに、疑問を感じざるを得ない。

会社は何をするところか。大きなくくりでいえば、社会貢献をするところだ。社会の役に立つものを作ったり、サービスを提供する。そうして喜ばれた分の対価をいただいて、それを自分たちの糧とする。糧を得るために、社会貢献をするということでもいいだろう。

で、世の中の景気が陰って、ものの動きが悪くなると、会社としては糧を得るのが難しくなる。そこでどうするのか。

不景気の対策とは、会社があり続けられる道を模索するということ。人員削減とは、経営者でない従業員の首を切るということ。不景気対策として人員削減をするということは、従業員の首を切ることによって、会社の延命を図るということに他ならない。もっと端的に言うと、会社の延命というのは、経営者の身分保障ということになる。

整理しよう。不景気対策としての人員削減とは、従業員の首を切ることによって、経営者の身分を保障しようとすること。従業員が、解雇されるということは、糧を失うことであって、殺されることである。つまり、経営者は、従業員を殺すことによって、己が栄え続けようとするということになる。もはや、社会正義の逸脱といっても過言とは思わない。

人が死んで、会社が生き残ることに何の意味があるのか。

今もう一度、仕事について、大きなところからながめる必要があるのではないのか。

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December 08, 2008

事故は不可避か?

もうしばらく前のことになるが、高速道路に、イノシシが飛び出してきて、それが元となって大事故になったという新聞記事を読んだ。

一緒に読んだ細君の話。「こんなん飛び出してきたら、よけられへんやんなぁ」と、この事故は不可避なものだったとの見解のようだった。確かに、それはその通りだったんだろうと思う。

が、しかし、僕としてはすっきりしない。何がすっきりしないのかというと、「不可避な事故がある」という見方だ。

確かに、突然目の前に飛び出してきたイノシシを発見したところから考え始めるのなら、不可避であるのだろう。それは、不可避になってしまったところから考え始めるのだから、不可避という結論しかでてこないことになる。

この件の事故が、不可避であったかどうか、このことを検討してみても、我々は時間をさかのぼる能力を持ち得ていない今日、切ないだけで大きな意味を見出すことはできない。今後の小手先の教訓をひねり出すのが、せいぜいのところだろう。

僕がいいたいのは、ちょっと違っていて、不可避な事故はあるのだという前提をおくことが、そもそも妥当なのか。別の言い方をすれば、そういう前提をおくことによって、何の役に立つのかということ。人生はそんなもんさと、分け知り顔で、無気力になることのいい分けに使える程度のことではないのか。

先ほどの事故の話に戻って考え直してみると、不可避との見解の要旨は、高速道路上でイノシシを発見してから、実際に衝突するまでの距離および時間が、発見・認知・判断・行動という一連の回避行動には不足していたということだ。

僕が重要視するのは、大前提として、事故というのは、起こるはずのない事象であるとの認識である。事故を起こしたいと願っているような輩は、一人としていない。イノシシでさえ、願ってはいないはずだ。もし、そのようなことが起こることを望む者がいてその通り事柄が起こったとすれば、それは既に事故ではなく犯罪なのであって、検討するべきテーマそのものが大きく違ってくることになる。

そういった事故というものを、減らすのではなく、なくしてしまうにはと考えた時、ここから学べるものは何か?

イノシシに限らず、障害物の発見が、その回避行動に間に合うタイミングでできないのだろうかということ。

車の運転者には、どのレーンを走るか、どの速度で走るかなど、走行に関するほとんど一切といえるほどの決裁権がゆだねられている。周りの事情を斟酌しながらであるのはいうまでもないが、判断し、行動に移すのは運転者自身でしかない。

そこから考えれば、これは単に早期発見ができるかどうかという問題ではなく、実際に発見できるタイミングで、早期発見といえるような走り方がどのようなものであるのか?という問いかけに変換することができるのではないだろうか。

これは単に、だからスピードを控えめにしろという平坦な結論に結びつけることではない。運転者が決裁権を適切に行使するために必要な情報は何か、それはどこにあるのか。速度と前車との距離の関係一つ取り上げても、車種や後続車との距離、路面状況などを考慮に入れる必要もあるだろうし、もっと広くその道路の車の密度によっても補正されるべき要素だ。こうしてどの要素が考慮されなければならないのかを、全て挙げだしたらキリがなくなるほど膨大な数になる。また、その状況において、重要になる要素も変わってくる。さらにいえば、要素になる事柄自体も変化していくことだってあり得る。

そこで考えるべきは、様々な状況に応じて、それらの要素を取捨選択する知識を得ようとしても切りがないので、その時々でどの要素をどう考慮すればいいのかを考えつく知恵を磨いていきたいということになる。

既に起こってしまった事故の過失責任の所在を探るというような、不毛な話ではなく、そこから学び取れることは何か、さらにはどうしたらそのように学び取る力を養っていけるのか、そこのところを究めていきたいものだ。

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