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March 25, 2009

スポーツ考再び

以前に、オリンピックは戦争であると述べた。オリンピックだけでなく、ついこの間世間が騒いでいたWBCも、また高校野球についても然りだ。今もその認識は変わってはいないし、折に触れてそういう話も随所でするようになった。

そのときに、「いや、そんなことはない」という反論を受けることも珍しくはない。そうしたときは、いつも議論が深まることなく物別れに終わるという展開に終始してしまう。

どうして議論として積み上げていくことができないんだろうか。

議論が発展しないとき、これまでの経験によれば、どちらか片方、あるいは両者に盲目の信仰がある場合が少なくない。ひょっとしたら、僕の側に自覚できていない信仰があるんじゃないかと思うこともある。が、それはまだ見つかっていない。

それで、オリンピックが戦争であるか否かについて、意見が対立したときを冷静に思い返してみると、僕は現実、事実に基づいて認識を導いているのに対し、反対意見氏のほとんどは、自らのスポーツ観に立脚しているように思われる。氏によればおそらくは、スポーツとは人間形成のツールであるとの認識なんだろう。なんでも一所懸命にやる姿は美しい。ルールを守り、チームの一員としての自覚を培う、いわゆる社会性を身につけることに貢献するものといいたいのではないかと思う。

確かにそういう面があることは否定しない。が、それは同時に、そこを強調していかないと、ドーピングや八百長などがすぐにはびこってしまう質のものであることをも、証明していることにはならないのだろうか。そういう例が、枚挙にいとまがないのは、論を待たないだろう。

また、反対意見氏個人の認識について論じるつもりが、こちらにはない。それはその人が、勝手に思っていればいいのであって、僕には関係がない。僕はあくまでも、競技スポーツの世界において、ドーピングや八百長、自分の技を磨くよりも相手を蹴落とす方策を練ることに執心するそのことが、特別な例外として現れてくる事件ではなく、必然として起こる日常であるといっているのだ。

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